お昼を食べ終わると、僕は冴子さんを手伝ってお皿を洗って拭いて、食器棚に片付けた。
初めてのことで片付ける場所とかもよく分からなかったけど、冴子さんは丁寧に優しく教えてくれた。
「これからお夕飯のお買い物に行ってきますけど、何か食べたいものはありますか?」
「ハンバーグっ」
力いっぱいそういってしまってから、子供っぽすぎたかな、と後悔して上目遣いで冴子さんを見上げると、おかしそうに笑いながら了承してくれた。
「ハンバーグですね? それじゃぁ腕によりをかけて作りますから。お買い物に言ってくる間、恵さんは家で待ってますか? それとも一緒に行きます?」
一瞬迷ったけど、僕は家で待つことにした。下手に外出して知ってる人に会うのはよくない。自分の家や学校とそう離れたところにいるわけじゃないから、思わぬところで家族に見つかってしまうかもしれないし。
外出を辞退すると、冴子さんはそれじゃぁ行ってきます、といって出て行った。誰もいなくなった家の中でさてどうしようかと暇をもてあましていると玄関の開く音がして誰かが帰ってきた。冴子さんが何か忘れ物でもしたのかな、と思って玄関までいくと、そこに立っていたのは藤木さんだった。
「あ……藤木さん…お帰りなさい?」
仕事じゃなかったのかな、もう終わったのかな? そう思いながら挨拶すると、藤木さんは微笑んだ。
「家に帰ると誰かがいるというのも嬉しいものだね」
「いつも、こんなに早いんですか?」
「いや。実はね、今はちょっと遅めのお昼休みなんだよ。なかなか仕事が落ち着かなくてね」
そのお昼時間にわざわざ帰ってきたんだろうか。
「それでね、実は朝のうちに新しい家具を買ったんだ。急ぎで頼むって言ったらこの時間に届けてくれるというのでね…もしかしたらもう来てしまったんじゃないかと思ったんだけど、何か変わったことはない?」
僕はあわてて首を振った。
「あ、でも、午前中だったら冴子さんが…いたから」
「あぁ…彼女には今下であったけど、何も言わなかったね」
そうこういってるうちに、家のチャイムが鳴った。
「おっと。来たかな」
言いながら、玄関ホールからリビングへ行く途中の廊下にあるインターホンに手を伸ばす。ピッという電子音がした。
「はい」
『佐久間家具店でーす』
インターホンから声が聞こえてきた。この家にあるインターホンは僕が知ってる電話みたいなインターホンじゃなくて、小さなテレビのモニタがついてるやつで、そのモニタに向かって話せば向こうに聞こえるらしい。向こうの声もスピーカーからこっちに聞こえてくる。そうっとうしろからモニタを覗き込むと、このマンションの一階のエントランスと一人の男の人が映っていた。
「今開けるから、上まで持ってきてくれ」
『わかりましたー』
藤木さんがモニタの横のボタンを押すと、ガーっという音が響いて、配達に来たらしい家具屋の人の姿がモニタから消えた。それから今度はモニタの下にあるスピーカーのマークのついたボタンを押すと、モニタの電源が切れてスピーカーからも音が聞こえなくなった。
不思義そうに見てると、藤木さんが僕に説明してくれた。
「このマンションは一階のエントランスの自動ドアがオートロックになってるんだ。中から外へ出る分には問題ないんだけど、外から中へ入るためには自分で暗証番号を入力して開けるか、中にいる人に開けてもらうかしかないんだ。で、このインターホンのボタンを押すと、エントランスの自動ドアが少しの間だけ開くんだよ」
「へぇ……」
父の会社の社宅…一応一軒家だ……にしか住んだことのない僕はものめずらしくてまじまじとインターホンを見つめてしまった。
そうこうしてるうちに、もう一度チャイムが鳴って、インターホンのモニタがついた。今度は玄関の前の様子がモニタに映っていた。
「来たみたいだね」
そういいながら、藤木さんはどこか楽しそうにドアを開けた。
「佐久間家具店です」
さっきモニタに映ってたのと同じ人がドアの向こうに立っていた。それからもう一人の男の人もすぐ隣にいて、平べったくて大きなダンボールを抱えている。地面にはエアーキャップ(手でプチプチつぶせるビニールの梱包材の、あれのことだ)でくるまれたものもおいてある。
「ご苦労様。こっちまで頼むよ」
藤木さんがそう言って部屋の中に案内する。彼らは持ってきた荷物を重そうにしながら運び入れていく。僕は邪魔にならないように気をつけながらも、気になったので藤木さんのそばにくっついていることにした。彼らは荷物を寝室に運び入れた。
「古いのは、そのまま持っていってしまってかまわないから、処分してくれ」
「わかりましたー」
藤木さんの言葉に、家具屋の人はそう返事を返した。
「さぁ、私たちは邪魔にならないように向こうへ行ってよう」
藤木さんに促されて、僕はリビングへ向かった。二人並んでソファに座ると、僕はたまらず藤木さんに聞いた。
「あの、何を買ったんですか?」
「ふふ。ベッドだよ」
藤木さんは楽しそうだ。
「あのベッドに二人は少し狭いだろう? だから新しく大きなベッドを買ったんだよ。これで、今夜からはちっちゃくなって寝る必要はないね」
にっこり笑った彼に、僕は驚いた。
「そ、そんな! わざわざベッドなんか買ってもらわなくても! あの、狭かったなら、僕は床でもソファでもどこでもいいですから!!!」
「そんな必要はないって言ってるだろう? 私が好きで勝手にやってることなんだから。君が喜んでくれると思ったんだけど、嫌だったかい?」
「嫌じゃないです……嬉しいです…」
そう答えると、藤木さんは満足そうに頷いた。それから手に持っていたカバンの中からごそごそと紙袋を取り出して、僕に渡してた。
「…? なんですか?」
「僕から君に、プレゼント。開けてみて」
言われるままにあけると、中から出てきたのは何枚かの洋服だった。
「あ、洋服……」
「身一つで家出してきたみたいだったからね。制服しかなかっただろう?」
言われて、僕は自分の格好を改めて見た。彼に借りたぶかぶかのシャツを袖をまくって着て、ズボンはサイズが合わないから仕方なく制服だ。
「とりあえず今日と明日が持つだけしかかって着てないから、明日二人で必要なものを全部買いに行こう」
「いいんですか?」
驚いてそう問い返した。だって僕はお金なんか持ってないから、買ってもらうことになってしまう。そんなことまでしてもらって、いいんだろうか。
「いいんだよ、私がしたいんだから。ちょうど明日は土曜日で仕事も休みだし、君さえよければ、明日買い物に出かけよう。いいかい?」
僕に断る理由なんてものはもちろんない。おそらく満面の笑みが浮かんでるだろうと自覚しながらとめることができずに、僕は力いっぱいうなづいた。
「はいっ、お願いします!」
藤木さんとお買い物! それも僕のために……。夢見たいな申し出に心を弾ませていると、物音のしていた寝室が静かになって、二人の男の人が出てきた。
「終わりましたー」
「あぁ、ご苦労様」
言いながら藤木さんは立ち上がって彼らのところへ歩いていく。僕も金魚の糞みたいにくっついていった。
「じゃぁ、こちらのほうはうちで処分してしまいますから」
そういいながら来た時より小ぶりになった荷物を目線でさす。
「頼むよ」
「また何かあったら連絡してください」
「わかった」
「ありがとうございましたぁっ」
深々とお辞儀をして、二人は荷物を抱えて玄関の外に出て行く。
「ね、新しいベッド、見てもいいですか?」
僕がわくわくしながら尋ねると、彼はいたずらっ子のような嬉しそうな笑みを瞳に浮かべてうなずくと、僕を連れて寝室へ向かった。
彼があけた寝室のドアを覗き込む。
「わ……わぁ……」
思わず言葉が出なくなる。
今朝までと同じ本棚と机。机の上のノートパソコンは藤木さんが仕事に持って行ってるせいか今は見当たらない。その部屋の様子が今までと違うのは、もちろんベッドのせいだ。けれど僕が言葉をなくしてしまったのは、そのベッドが二つに増えたわけではなく一つのままで、しかも、そのベッドが、とっても大きなものだったっていうことにあるわけで。
「こ、これって、ダブルベッド……」
絶句している僕をよそに、彼は得意げな笑みを浮かべた。
「そう。しかも君のためにキングサイズのベッドを選んだんだ。気に入ってくれたかな?」
気に入るも何もない……。どうしてシングルを用意してくれなかったんだとか、言いたいことは色々あるけど、せっかく買ってくれたものに文句を言えるはずなんかない。僕は力なく頷いた。
「はい、あの、とっても…」
「よかった。そういってもらえて嬉しいよ」
嬉しそうな藤木さんを見てるとまんざらでもなくなってくる。
と、そこへポーンという鐘の音が響いた。藤木さんが腕時計に目をやると、時刻は2時。
「あぁ、いけない。もう行かないと」
もう行ってしまうのか……さびしいという言葉を飲み込んだ。
いつも一人だったはずなのに、たった半日しかいないこの家の生活になじみ始めているらしかった。
「じゃぁ、仕事に行くよ。……できるだけ早めに帰ってくるから」
まるで子供に諭すようにそう言った藤木さんがおかしくて、僕はくすくすと笑った。
「大丈夫ですよ。ちゃんと待ってられるから。いってらっしゃい」
「それじゃぁね、恵君。今夜、一緒に寝るのが楽しみだ」
後半のセリフをわざと誰もいないリビングで僕の耳に唇を寄せて囁いた藤木さんは、スマートな足取りで家を出て行った。
……僕は、しばらく赤い顔をして右耳を抑えたまま固まっていた。
- 作品名
- Drops 懺悔の檻04
- 登録日時
- 2003/08/20(水) 02:41
- 分類
- Dorop::第一章 懺悔の檻