彼の家までは、その公園から歩いてすぐだった。駅から程近い高級そうなマンションに入っていく彼の後に続いた。彼の家はそのマンションの最上階にある一室だった。玄関を開けると、彼は先に部屋に入って電気をつけた。明るくなった部屋の中でまず目を引いたのは、落ち着いた色調の猫足のダイニングテーブルだった。その奥には革張りのソファとガラスのテーブル。どれもこれも高級そうなこの部屋をさらに引き立てる調度品だった。
マンションの癖に広い玄関に立ち尽くして中を覗き込んでいる僕に、藤木さんはにっこりと微笑んで中へ入るように言ってくれた。
「何も無いところだけどね。私しかいないから、気を使わずにどうぞ」
「……一人暮らし?」
これだけ広い家に一人ですんでいるということに驚いて靴を脱ぎながらそう聞くと、彼はこくりとうなずいた。
「気ままな一人暮らしさ。さ、こっちへおいで」
誘われるままに、僕はリビングのソファへ行き、ゆっくりと腰を下ろした。沈み込むように座った僕を見て、彼はふと、問いかけた。
「そういえば、名前をまだ聞いてなかったね。私の名前は藤木貴正だけど……。君は?」
言われて始めて気がついた。
とても自然にここまで来てしまったから、そんなことにも気がつかなかった。
「僕の名前は…岩崎 恵(いわさき めぐむ)です……」
「恵君か。かわいい名前だね」
にっこりと微笑まれて、僕は返す言葉も無く、ドギマギとしてうつむいた。彼は一層笑ったようだった。
ポーン、と、時計が鳴って見上げると、23時半。
「……さて、そろそろ寝るかい? その前にお風呂に入ろうか」
「あ……はい、そうですね……」
藤木さんはそういいながら愉快そうに立ち上がり、奥のドアへと消えた。しばらくすると、手にバスタオルと着替えなんかを持って帰ってくる。そのうちの半分ほどを僕の手に乗せて、彼は言った。
「はい、バスタオル。着替えは、私ので悪いけど、使ってくれ」
そう言って渡されたのは、長袖のグレーのTシャツと真っ白なバスタオル。藤木さんの手には白いバスローブだ。
「さぁ、こっちだよ」
促されて、僕は手渡されたものを持ってついていく。そして藤木さんがバスルームとして案内したのは、やはり普通の風呂場とはまったく違う、広いユニットバスだった。二人くらいなら余裕で入れそうだ。
「……」
といっても、まさか本当に二人で入るわけも無い。藤木さんが出て行くのを待っていたら、当の藤木さんは脱衣所でおもむろに服を脱ぎ始めてしまった。
あわてて出て行こうとしたら、腕をつかまれた。
「何で出て行くんだい? 君も一緒に入ればいいだろう。幸い、このバスルームは二人で入っても大して狭くは無いと思うよ」
そんなこといわれても、はいと言うわけにも行かない。
僕は途方にくれて立ち尽くした。困っているのがわかるんだろう、藤木さんは愉快そうに笑って、僕の胸元に手を伸ばすと締めていたネクタイをするするとはずし、ブレザーも脱がしてしまった。
「あ、あの、ちょっと」
困惑してその手を逃れた時には、シャツのボタンも半ばまで取れていた。
「なに、するんですか……っ」
むっ、とにらみつけたが、軽く受け流されてしまった。
「いいじゃないか。一緒に入ろう」
さわやかに言われて、僕は言葉に詰まった。ここで頑なに拒否をしても不振がられるだけな気がする。
「男同士なんだし、平気だろう?」
そういわれて、僕は言葉に窮し、結局逃げそびれてしまった事に気がついた。
ぐずぐずとしているうちにも彼は身につけていたものを全て脱ぎ捨て、バスルームに入っていってしまった。その瞬間に見えた端整な裸の背中に、僕はなぜかどきりとした。そうして彼が行ってしまうと、僕は覚悟を決めて服を脱ぎ捨て、しばらくまよってから脱いだ服をたたんで床に置き、バスルームのドアを開けた。
シャワーの音が室内に響いていた。頭からシャワーの熱いお湯をかぶって濡れた藤木さんが、入ってきた僕を見てふ、と笑んだ。いやに色気のある表情で、僕はなぜか顔が赤くなるのを感じた。慌ててうつむいたところで、彼にしっかりと見られた後だった。
「君は本当にかわいいな。さ、こっちへおいで」
腕を引かれて、僕はなされるがままに彼のそばへ行く。そして彼は僕の頭からシャワーをかけると、僕の頭を洗い出した。
「ちょ、ちょっと、何するんですか!?」
「ふふ、君があんまりかわいいから、私が洗ってあげようと思って」
「いりませんよ! 自分で洗えます」
逃げようとしても、藤木さんは思った以上に力が強い。体格の差もあって、結局はやっぱり彼の言うとおりにおとなしく洗われているしかない。
僕の頭を洗う彼はなんだかとても嬉しそうだった。
頭のほうが終わると、今度は体だ。手のひらにのせたシャンプーを両手をこすり合わせてあわ立てる藤木さんの姿を見て、さすがに抵抗感を覚えた僕は、慌てて彼の手を逃れ、バスタブの中へ逃げ込もうとした。しかし、一般のものより広いとはいえ、ここは浴室。すぐに捕まってしまった。
「どうして逃げるんだ?」
さも不思議そうにそう問いかける藤木さんの思考回路をちょっと怪しみつつ、僕は口を開いた。
「何でって……もう、頭洗ったし。藤木さんが体を洗い終わるまで、僕は湯船にでもつかってようかと思って……」
ごまかし笑いを浮かべた僕を自分の胸元に引き寄せて、彼はゾクッとするような甘く低い声で言った。
「遠慮することは無いよ。私が洗ってあげたいと思っているのだからね。君はおとなしく私に体を預けていればいいんだよ」
やんわりとしていたが、有無を言わせない響きの言葉だった。なぜか僕はその言葉を聞いて身動きが取れなくなった。その言葉は、僕にとっては命令だった。黙って自分に従えと言われたのと同じ事だった。長く僕を苦しめ続けた忌まわしい記憶が不意に甦って、僕は無意識のまま体の力を抜いていた。
彼はそんな僕の体に手を這わせて体を洗い始めた。
シャンプーのついたぬるぬるした手が僕の腕から肩にかけて滑っていく。そのまま首筋を這う。指が、鎖骨に触れて、僕はびくりと体を揺らした。くすりと藤木さんが笑った気配がしたかと思うと、藤木さんの手はするりと僕の胸に触れた。
いや、女じゃあるまいし、平らな僕の胸なんか触られたってどうってことは無いんだけど、筋肉もろくについてないような薄い胸の上を行ったり来たりするその手がやがて僕のあるかなしかの乳首に触れた時、おかしな感覚が僕の背筋をぞぞぞっと這い上がってきて、思わず体を大きく揺らして彼の手から逃れようと体を翻してた。だけど背を向けた僕の体を後ろから抱きこむような格好で、なおも藤木さんは僕の胸に手を這わせる。
「……あっ」
思いもよらず変な声が漏れてしまって慌てて口を押さえたけど、もう遅い。
「……おや、どうかしたのかい」
わざわざ僕の耳元に口唇を寄せて藤木さんが囁く。僕は恥ずかしさのあまりに顔を真っ赤にしてうつむいた。
「ふふ……」
彼の笑う声が聞こえてくる。僕のおかしな反応がただただ恥ずかしくて、どうしようもなくて僕は無抵抗のままぎゅっと歯を食いしばった。
「くすぐったい?」
耳元で囁く声が腰に響いてくる。なんだって僕はこんなおかしな反応をしているんだろう? 藤木さんはただ僕の体を洗っているだけなのに……。
「……それとも、感じてしまったのかな」
低く、彼が囁いた。それと同時にきゅっと乳首をつままれて、僕はびくりと体を震わせた。
「ん…っ」
「可愛いね……そんなに真っ赤になって。かわいそうに……ちょっとの刺激でそんなにして」
言いながら、彼は無防備な僕の股間に手を触れた。
「あっ、いや……っ」
その手から逃れようともがいたけど、彼の腕はびくともしない。
「逃げなくてもいいよ。この際だから、気持ちよくさせてあげる」
「そ、そんなっ、あのっ、いいですっ、だいじょうぶだから!」
そんな言葉で彼が手を止めるはずも無い。僕の一番敏感なところを握り締めて、彼はゆっくりと手を動かしながら僕のあごに手をかけて上を向かせた。
「ほら……鏡をご覧」
無理やり目の前の大きな姿見に顔を向けられて、僕は自分の姿態を見せ付けられた。全裸で、後ろから藤木さんに抱きすくめられながら胸と股間をいじられて反応している姿はあまりにもひどくて、僕は目をそらしてしまった。
「感じている表情だ。大丈夫なんかじゃなさそうだろう?」
「やだ……」
あまりの羞恥心に涙が出てくる。だけど彼は容赦ない。
「綺麗な表情だよ。もっと感じさせたら、もっと綺麗になると思うけどな」
そういいながら、彼はもっと激しく手を動かした。
「んぅっ……」
我慢できない声が漏れる。必死でこらえても、快感は僕の意思とは関係なくやってきて僕を翻弄する。
「声を我慢する必要なんか無い。ここには私と君しかいない。誰にも聞かれる心配なんかないんだよ」
「でもっ……あぁっ」
言葉にならない抗議の声を上げるけど、それも嬌声に飲まれてもう、訳がわからない。
そのうちにもう立っているのすらつらくなって、鏡に手をついた。足ががくがくしてそれでも耐えられない。
「もう、ゆるしてぇ……っ」
頭の中が真っ白で、何も考えられなくなってくる。藤木さんの手が、先端の一番気持ちのいいところをいじると、僕は一気に大きな快感にさらされた。
「あっ、あぁぁぁぁっ」
ぱっと目の前が白くなって、僕はついに欲望をぶちまけていた。
……藤木さんの手の中に。
あのあと、くたくたになってしまった僕の体をなんとか綺麗にして、藤木さんは僕を抱えてバスルームを出た。手渡されたバスタオルで体を拭き、なんとかTシャツを着て、僕は脱衣所から逃げ出すと疲れた体をソファに沈めた。
藤木さんはすぐに僕の後を追ってリビングまでやってきた。
思っていた通りぶかぶかだった彼のTシャツを腕をまくって着込んでいる僕の姿を見て彼は何事も無かったかのような顔をして苦笑した。
「それなら、半袖のTシャツでもよかったね」
それはさすがに言い過ぎだ、と思いながら藤木さんをにらみつける。バスローブ彼の姿は男の僕から見ても、なんとも魅力的だった。長身を包むバスローブは、優雅な彼の雰囲気に見事に合っていた。まだ濡れたままの髪からは雫がはたはたと肩に落ちて、均整の取れた胸元が覗いていた。色気たっぷりのその姿に、さっきのことを思い出してしまって赤面し、僕は無言のまま視線をそらした。
そんな僕とは正反対に涼しげな顔の彼は、
「さ、今日はもう疲れただろう? ベッドルームはこっちだよ」
そんなことを言って奥のドアを開けて僕を促した。誘われるままにのろのろと入って行った先は、セミダブルのベッドを置いてもなお余りあるような広い部屋だった。リビングと同様に落ち着いた雰囲気で、家具は多くは無い。ベッドのほかにはほんのびっしり詰まった本棚が一つと、ノートパソコンの乗った机があるだけだ。
「生憎、ベッドは一つしかないからね。ここで一緒に寝てもらうしかないよ」
そういった彼の言葉に驚いて、僕は彼の顔を見上げた。
「一緒に……? あ、僕は、リビングのソファでいいですっ」
一緒に寝るだ何て、冗談じゃない。慌ててそう申し立てたが、にっこりと笑顔で却下された。
「まだ夜は冷えるだろう? 布団もこの一枚しかないし…。私と一緒じゃいやかい?」
悲しそうな顔でそう聞かれて、僕は返答に窮した。行き場の無い僕を拾ってくれた彼に対して、拒絶する権利なんてものは存在しない。結局、彼に押し切られる形で一緒に寝ることになってしまった。
「私は着替えてくるから、先に寝ていてくれ」
言うや、彼は部屋を出て行ってしまった。一体、この家にはいくつの部屋があるんだろう?まだ若いのに、つくづくすごいなぁと僕は心から感心した。
ややあって戻ってきた彼は上質そうなパジャマを身に着けていた。さっきまでのバスローブと印象が違って、とても上品そうだ。さっきまでがそうでなかったわけではないが、手触りの良さそうなパジャマには格別そういう印象を抱いた。
ベッドの上に座っていた僕の隣に腰をかけると、さっさと布団の中へ入って座ったまま身動きできずにいた僕を見上げて手招きをした。
「いつまでそうしているつもりだい? さ、早くおいで、寝よう」
寝よう、という言葉にドキッとしながらぎこちない動きで彼の待つ布団の中へもぐりこむ。セミダブルとはいえ、体の大きな藤木さんと、小柄とはいえ男の僕が一緒に寝るとさすがにせまい。藤木さんはこっちを向いているから、物凄く恥ずかしくて仕方がない。気恥ずかしさに背を向けた。ふと、彼が笑ったような気配がしたけれど、僕は心臓のドキドキする音が彼に聞こえてしまいそうで気が気じゃなかった。彼はそんな僕の心を知ってか知らずか、僕の頭の上に手を伸ばしてリモコンを手に取ると、一番大きなボタンを押した。ピッピッ、ピーッと小さな音がして、部屋の電気が消え、僕は電気にもリモコンなんてものがあるということを始めて知った。
電気が消えて暗くなった部屋で、僕は寝付けるかどうか不安に思っていた。けれど、初めて感じる背中の温もりに心地よさを覚えて、いつの間にか深い眠りについていた……。
- 作品名
- Drops 懺悔の檻02
- 登録日時
- 2003/06/22(日) 00:00
- 分類
- Dorop::第一章 懺悔の檻